君の名は希望


自担が事務所を辞めたらしい。
一報を聞いたのは社会人になって4日目のことで、その瞬間こそ頭が真っ白になって、ああ仕事やめたい、やめようか、なんて思ってしまっていたけれど、それでもワンワン泣くことはなかったし、たぶんこれからもないと思った。いろんな方のブログを見て、たくさんのありがとうと幸せになってね、を見て、どこかで、ふーん、と他人事のように(他人だけど)客観視してしまっていて腑に落ちなかった。ああ、それでいいのか、と思っていた。

その理由がずっとわからなくて、わかりたくて、ブログを何度も書いては消していた。
わたしはファンとしての暦が浅くて、気持ちも浅かった。そう思うと楽だった。だけど違った。確かに、好きだったのだ。でもこれとこれとこれ!と確かなものを列挙することができない。かっこよさも、可愛さも、性格の良さも、真っ直ぐさも、ちょっとズレた感性も、他のひとに当てはまらないかといったらそうではないかもしれないし、これが2年前なら、4年前なら、と考えると、たぶん今のようにはなっていなかったし、本当にタイミングだったな、と思ったりもしていた。

君じゃなきゃダメだ!という理由をつけたのは紛れもなく自分自身だったから。彼自身の境遇、魅せてくれたパフォーマンス、想い、全てを総合して、今だ、と思って飛び込んだ。その事に後悔は全くない。

これは持論だけれど、オタクとして味わっておくべき、忘れられない記憶に残る瞬間があるとすればまさしく、一つは担降りでもう一つも担降りなのだと思う。前者は勝手に落っこちるほうで、後者は強制的に降ろされるほう。

自ら一歩足を踏み出して落ちたとき、飛び込んだとき、どうしようもない高揚感と焦燥感に襲われて心地よかったのをずっと覚えている。クリエ付近のド●ールでES書きながら手紙書いたあの日…。今思えば全然内定もらえてなかったのによく行ったわ(※良い子は真似しないでね!)

 


自分のツイートを見返して、担降りハイとはこのことかと笑ってしまったけど、やっぱり不憫・不器用萌えの激しかった自分にとってパフォーマンスお化けの颯くんを好きになってしまったというのはちょっとした事件だった。それもまた、ドキドキしたのだ。

降ろされるほうの担降りについては元担(と呼ぶべきかもわからないが)の例を参照したいと思う。彼のことは、正直どのタイミングで好きになったのかは全く覚えていないが、いなくなった日のことは鮮明に覚えている。今だから思うことだけど、わたしは、あの瞬間ほどオタクとして良くも悪くも記憶に残ることはないな、と思ってしまった。勿論それは絶望に値する悲しみではあったが、オープニングから競り上がるステージで顔をぐしゃぐしゃにして涙ぐんでいたこと、いつもはないソロパートを貰えていたこと、仲間に囲まれて泣いていたこと、上がらない幕の前で客席から全員がずっとその名前を呼んでいたこと。まさに、アイドルがひとつの夢を諦める瞬間を、そして次の夢に進む瞬間を見た、見てしまった、見せてくれたことへの感謝であったり、そしてそれをどうしても諦めたくないオタクの最後の意地であったりして、それはちょっとした興奮でもあったりした。それは、ジャニオタ初心者のわたしにとってはすごいことだったし、それが最初ではいけなかったんだろうなと思う。(颯くんに降りた後もこの話を度々就活で使っていたのは秘密)

それに対して、颯くんが辞めたらしい、ということを知ったのは、ステージの上でも、雑誌のコメントでもなく、本人発信ではない、ひとつのツイートだった。そしてそのことから、たくさんのファンレターに返信を書いているらしいことを知った。残念ながらわたしは返信が返ってこないので、今もそのことが本当なのかどうかわからないけど、たぶんそうなのだろうし、きっとそれが世間的に見たファン想いの颯くん"らしい"辞め方、ということなのだろうなぁとも思う。

わたし自身も、ここまでくるのに引っかかる事がないわけではなかった。
むしろ、あまりにフラグは立ちすぎている、と周りから見たら思われているのも感じていた。
だけどそれでも、わたしは大真面目にここからの大逆転劇を描いていた。腐らずに続けていれば、誰かがきっと見つけてくれる。舞台に出て、注目されて、またドラマにも出たりして。グループ群雄割拠の時代で、敢えて無所属でデビューに食い込んじゃうのかっこいいよね、なんて結構、本気で思っていた。

それは友情・努力・勝利の少年ジャンプ脳が成せる技かもしれないし、自担贔屓のお花畑だったといえばそれまでなんだけど、それだけじゃないような気がする。

たぶんわたしは、颯くんの、過去と、現在と、未来の繋がりに惹かれていた。一貫して純粋なステージへの渇望と、何かに取り憑かれたように感情的な表現、それが相反するようで一致しているのが、1人の人間であるのが、不思議だったんだ、という結論に至った。

普段から何を考えているのかよくわからない颯くんが、ステージへの欲を見せる時、前に出られないもどかしさを見せる時、それが現在であるとするならば、その有り余るパワーはどこかで見つかる。色々あったけどきっと未来は明るい。あんなこともあったねと笑える日が来る。そう信じてやまなかった。

だけどその日は、すぐにはこなかった。正確には、この場所ではこなかった、というべきなのかもしれない。
わたしは、頑張ったね、お疲れ様と声をかけてあげられるほど颯くんがどれほど辛かったかを計り知ることはできないし、なんなら、計り知りたかったと思う。連載打ち切りの尻切れトンボになるくらいなら、ひと暴れして衝撃のラストを迎えたっていいじゃない。
いい子ちゃんでいる必要なんてないし、世間が求めている"らしさ"なんてものになる必要なんてない。わたしは彼はそういうところに反骨心がある人だとなんとなく思っていて、だからこそ先に続く物語に期待しかない。颯くんが辞めたということで、何を聞いても、見ても、その実感がわかないのは、颯くんが決断したその日が、わたしが強制的に降ろされるはずだったその日が、いつだったか、どんな風だったか、知ることができないからなのだとも思う。

だから、颯くんを語る時は、自らダイブした最初の担降りの話になってしまう。やっぱり去年のクリエで、颯くんのソロ曲『今を咲く花』を聴いた時の衝撃はとんでもなかった。歌詞や歌声それ自体への感動もさることながら、ちょっとなんてことをする人なんだろうヤバいな、とゾクゾクした。久々のメイン仕事で、1人ずつソロ曲を歌わせてもらえることになったとして、普通は自分の尊敬する先輩のソロ曲や、メジャーでコンサート映えするジャニーズ曲を選びそうなものだが、初披露の自作曲を弾き語りでもってくるという度胸に驚いたのだ。いい意味で“あ、この人普通じゃない”と思った。それ以外でも雑誌で度々“曲を作っています”“歌詞を書いています”と報告してくれていて、それを披露する場が近々あるとかないとかそういうことは彼には関係ないんだ、その行為自体に意味があるんだ、と思った。
それまで、運動神経がよくなんでもそつなくこなして、ダンスも歌もできる完璧好青年、という表面上のステータスにときめきまくっていたわたしは、うまくいかないことが多い世の中の不条理さに揉まれて、それでも好きなことで生きていこうとした1人の表現者の姿を見たような気がして、応援したいと、素直に思えた。

わたしは、こんなにステージに立ちたい人を知らないし、こんなにステージを静かにさせる人を知らないし、こんなにステージで感情を表す人を知らない。

盲目オタクによる、井の中の蛙発言かもしれないけど、それでいい。外に出てその厳しさを知ったっていい。それでも、諦めないでほしい。上から目線の自分勝手だけど、わたしは颯くんに、表舞台から去って普通に生きて幸せになってほしいなんて、思っちゃいないのだ。目に見える形で、表現者として、生きてほしいのだ。綺麗事を並べても何にもならないってこの数年で学んだのだ。(何かを悟った顔)

才能がある人に向けて、君はこうしたほうがいいというのは、期待をかけすぎるのは、おせっかいかもしれないけど、もっとそういうおせっかいな人が周りにいればいいのに、と思う。
そういう意味では今は、大学の友達に期待してるところでして。あ、颯くんの大学の先輩方、新歓で間違ってもテニサーに勧誘するなよ、絶対だぞ(フリではない)

、とまあ冗談はさて置き(?)、しっかりやりたいことを見つけて、大学進学という次のステップに進めたらしいということはすごく喜ばしいことだ。好きなことに没頭できる性格が羨ましくて、ちょっとまっすぐすぎるくらい周りが見えなくなるのも愛しくて、だから前半誌三誌が全部カフェで英語を勉強してる話だった時も、今思えばすごく彼らしいなという感じなのだ。(その時はこれしかエピソードないんかい!!!と思っていたごめん)

そんなこんなでわたしは、第1章、ジャニーズjrの髙橋颯くんからはいまいちすっきり担降りできなかったので、どうか、第2章は、とんでもない展開で、驚かせてください。絶望?不安?軽蔑?どんとこい。きっと若気の至りでなんとかなるから、大丈夫だから、大きな夢を見ることをやめないでほしい。それがみんなの夢になるから!




希望を与える力が、君にはあります。



以上、おせっかいなお母さんからの戯言でした。